一般財団法人 知と文明のフォーラム

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書いた記事数:53 最後に更新した日:2017/07/17

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おいしい本が読みたい 第32話 大きな歴史と小さな歴史と

『褐色の世界史』(ヴィジャイ・プラシャド著、水声社)は「第三世界」から見た世界史だ。わたしたちが中学・高校で押しつけられる世界史とはかなり趣が異なる。歴史は原則として強者の歴史であり、したがって、基本的には「第一世界」の、つまり欧米中心の歴史となる。この歴史に対して大きな疑問符をつけたのがヴィジャイ・プラシャドということになる。

 

扱う時代の中核部分はほぼ第二次大戦後から70年代末まで、戦後の東西冷戦構造のなかで、「第三世界」がある役割を荷いうると期待された時代である。その役割は著書の冒頭に引用されたフランツ・ファノンのことばが雄弁に語る。「第三世界は今日、一つの巨大な塊としてヨーロッパに対峙している。そのプロジェクトとは、ヨーロッパがこれまで答えを見つけられずにいる問題を解決しようということであるはずだ」。

 

ところが、ソ連解体により冷戦構造が消失し、「第三世界」もまたグローバル資本の波に呑みこまれて問題を解決する力を削がれているのが現状であろう。この現状の処方箋はむずかしい。けれども、「第三世界」から見た世界史という考え方は、処方箋を作るときに忘れてはならない視点だと思う。

 

筆者のプラシャドはインド出身の学者だが、アジアと西洋の関係を論じた浩瀚な歴史書『西洋の支配とアジア』(藤原書店)の著者パニッカルもまたインドの政治家・学者である。しかも扱う時代はバスコ・ダ・ガマのインド到達から第二次大戦までの500年近くに及ぶ。パニッカルにもアジアの側から見た西洋世界という視点が当然ある。プラシャドとパニッカルに共通するのは、いっぽうは空間的もういっぽうは時間的な、視界の広さだ。大英帝国支配の苦渋を呑まされてきた民のエネルギーがそうさせるのだろうか。

 

視界の広さということでいえば、フランスの歴史学者マルク・フェローの『植民地化の歴史』(新評論)は「第三世界」の歴史を700年にわたって展望した大著である。わたしたちが知らない世界史の裏面、あるいは知っていたとしても断片的情報に解体されて本質が見えなくなっている歴史的事実、それらを「植民地化」という一点に絞って紡いだのがこの本だ。筆者はユダヤ系フランス人。ヨーロッパの内なる他者としての第二次大戦を生き抜いた経験をもつ。そういう人間ならではの視線に貫かれている。「核なしに戦争するノウハウを学んだ」(佐藤優)現代世界の見取り図を描くには必須の一書だろう。

 

学問研究分野の細分化が進んでいる現代には、こうした「大きな歴史」を描く意味は大きい。フランスの歴史学の場合、例えば1931年のパリ植民地博覧会だけに焦点を絞って研究する学徒や研究者は枚挙にいとまがない。細部のみにこだわるスペシャリスト全盛の時代なのだ。だから、上記のフェローのような書物は“大風呂敷”の評言が必ずついてまわる、フランスでも日本でも。「大きな歴史」も「小さな歴史」もなくてはならないはずなのだが…

 

その「小さな歴史」の一例として、無文字社会であった西アフリカ・マリの語り部アマドゥ・ハンパテ・バーの自叙伝『アフリカのいのち』(新評論)の一節を紹介しておこう。書物を絶対視しがちなわたしたちの足元を確認するのに役立つと思う。

 

それゆえ、文字をもたなかったからといって、アフリカが過去や歴史や文化をもつことがなかったわけでは決してないのである。私の師匠ティエルノ・ボカールが後に何度も言うように、「文字は事物であり、知識はそれとは別のものである。文字は知識の写真であって、知識そのものではない。知識は人の内側にある光である。知識は先祖たちが知ることのできたものすべての、そして先祖たちが私たちに胚芽として伝えたものすべての遺産なのであって、それはちょうどバオバブの木がその種子のなかに潜在的に含まれているのと同じことなのである」。

むさしまる
 


おいしい本が読みたい 第31話 忘れられない人々

名作を要約することはできない、としばしばいわれる。要約したところで、換骨奪胎にすぎない。それと同じように、どうあがいても解説不能な作品というものもある。希望に賭ける心情のあまりの純度の高さに、絶望のあまりの深さに、読み手はことばを失わざるを得ないから。ところが、そんな作品ほど読んだら最後、誰かに話さずにいられない。

というわけで、今回はアレクシェーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(群像社)を紹介したい。ほとんど引用にすぎないが。

アレクシェーヴィチの名は、昨年ノーベル文学賞をとったのでかなりよく知られていると思う。彼女の作品は基本的にルポルタージュである。受賞の折、あれは文学ではない、と彼女の作風をこきおろすある作家の声が新聞紙上で紹介されていた。じゃ文学って何だ、と問い返したい。おそらくその作家には、フィクションこそが文学と呼ぶべきもの、との固定観念がある。さらに、あれは文学ではない、ということばの裏には、純文学こそが至上の文学でそれ以外は大衆文学というエンターテインメントにすぎない、との格付け意識も感じられる。力強い文学とそうでない文学があるだけかもしれないのに。

ところで、文学の定義として、人間の尊厳について考えさせてくれるもの、とすることも可能だ。この点からすると、アレクシェーヴィチの作品は見事に条件を満たしているではないか。引用文を一読すれば、ほとんどの人がこのことを納得してくれるだろう。

引用を列挙するまえに、ひとつ銘記しておきたいことがある。それは、30人余りの従軍した女性たちに対するインタヴューをまとめた本書だが、当然のことながら、活字化されなかった人々の声が背後に横たわっているということだ。アレクシェーヴィチの才能のひとつは、ほかの人が相手なら沈黙したであろう女性たちから、共鳴する音叉のようにことばを引き出す力である。

しかし、前にも書いたことがあるが、過去を語ることはもう一度その過去を生きることである。それに耐えられない人も大勢いる。活字化されなかった人々のさらにその背後に、あの日高六郎の母親のように、無言でうつむく何万もの女性たちがいることを忘れるわけにはいかない。従軍のとき高校生ほどの年頃だった人が多いことも、覚えておこう。

クセ―ニャ・オサトチェワ 二等兵(給食係)
私は戦争ですっかり変わってしまい、戻ったとき母は私だと分からなかったくらいです。
母が住んでいるところを教えてもらって、そこに行き、戸をたたきました。
「はいはい」
私は家に入り、「こんにちは、一晩泊めてください」と頼みました。
母はペチカを焚いていて、弟二人は床に積んだ藁に座っていました。裸でした。着るものがないんです。母は私だと分からずに言いました。
「すみませんね、こんな暮らしなので、暗くならないうちにもっと先へお行きなさい」
私は、もっと近寄りましたが、また、言います。
「暗くならないうちに、もっと先へ」私は身をかがめて母を抱きしめました。
「おかあさん、私のおかあちゃん」そこで、みな私に駆け寄って、わーっと泣き出しました。
 今はクリミヤに住んでいます…花が咲き乱れています。私は毎日窓から海をながめています。でも、全身の痛みであえいでいます。私は今でも、女の顔をしていません。よく泣きます。毎日呻いています。思い出しては。

オリガ・ワシーリエヴナ 海軍一等兵
 男たちは何事であれ私たちより苦労しないで順応できた。ああいう禁欲的な不便な生活に……ああいう関係に……でも、わたしたちは寂しかった。とても家が恋しかった。おかあさんが恋しかったし、暖かい家庭が恋しかった。モスクワから来ていたナターシャ・ジーリナという子がいて、勇敢な行為に対して「剛毅記章」をもらい、数日、家に帰らせてもらったの。その子が戻ったとき私たちはその匂いをくんくん嗅ぎました。文字通り、行列を作って順番に匂いを嗅がせてもらった。おうちの匂いがすると言って。そんなに家が恋しかったの。

「忘れる? 忘れるですって?」オリガ・ワシーリエヴナが沈黙を破る。
「忘れようったってそれは無理だ」とやや間を置いてサウル・ゲンリホヴィッチが沈黙を破る。
「私は忘れられるものなら、忘れてしまいたいわ、忘れたい」ほとんど囁き声でオリガ・ワシーリエヴナがつぶやく。
「せめて一日でいいから戦争のない日を過ごしたい。戦争のことを思い出さない日を。せめて一日でいいから……」

ナタリヤ・セルゲーエワ 二等兵(衛生係)
冬にドイツ人の捕虜が連れて行かれるのに出くわしたときのこと。みんな凍えていた。穴の空いた毛布を頭からかぶって、焼けこげた軍外套を着ている。(…)捕虜の中に一人の兵士がいた……。少年よ……。涙が顔の上に凍り付いている。私は手押し車で食堂にパンを運んでいるところだった。その兵士の眼が私の手押し車に釘付けになっているの。
私のことなんか眼中になくて、手押し車だけを見てる。パンだ、パン……。私はパンを一個とって半分に割ってやり、それを兵士にあげた。その子は受け取った……受け取ったけど、信じられないの……信じられない……信じられないのよ。
 私は嬉しかった……憎むことができないということが嬉しかった。

名前の分からない女性(エレーナ・アダモヴナ・ヴェリチコ、ユスチーナ・ルキヤノヴナ・グリゴローヴィチ、マリヤ・フョードロヴナ・マズロ。その他は泣いている声で聞きとれない……)(カッコ内は著者の説明書き)

 あたしたちのことは書かなくていいよ……憶えていてくれたらそのほうがいいよ……こうやってあんたと話をしたってこと。いっしょに涙を流したってこと。あたしたちと別れていく時にゃ、振り返ってあたしたちを、あたしたちの小屋を見ておくれ。他人行儀に一度だけでなくて、身内がやるように二回だよ。それだけで、他には何もいらないよ。ただ振り返ってくれりゃあ……」

むさしまる(忘備録:忘れないこと。忘れなければ、振り返ることができる)

 

おいしい本が読みたい 第30話 歴史の尺度(修正版)

最初に恥を忍んで記す、前言撤回ないし修正、と。前言とは、「歴史の尺度」と題した前回の内容のことだが、末尾にこんな書き方をした。

「自分の一生をものさしとして時代を見る。そういう歴史観も必要だろうと思う」日高のこの一言に触れるだけでも、220ページを追う価値がある。

ここの部分をしばらく括弧に入れておきたい。むろん、この一句に異論が挟みたくなったのではない。こちらの態度がいささか安易に過ぎることを思い知らされたからである。不明を恥じるとはこういうときに使うのだろう。

じつは、前回紹介した『95歳のポルトレ』の後、ある先輩から、日高の本ならもっと良いものがあると勧められた。『戦争のなかで考えたこと―ある家族の物語』(筑摩書房)がそれだ。中国の青島で日中戦争を迎え、青年期を太平洋戦争に翻弄された人間の一生を、簡単にまとめてしまうことの愚を、この本で教えられた。せめて、戦中の日高の後ろ姿だけでも紹介して、愚行のおとしまえをつけたい。

日高は戦中の1941年に大学を卒業し、43年から母校の文学部助手になっている。そして翌44年の秋、ほぼ徴用に近い形で海軍技術研究所の嘱託に採用される。仕事の内容は「時局についての研究調査」だという。ある日、時局の現状について、意見があるならば、率直かつ自由に書いて提出せよ、との事務連絡がある。すでに敗色濃厚な時期だ。とはいえ、迂闊なことは言えないし書けない。彼は学者としての良心と玉砕を押し付ける軍部の狂気にはさまれて苦悩する。冷静な分析結果は軍部批判になりうる。遅疑逡巡する彼の背中を押したのは何か、誰か。ひとりの見知らぬ女子学生である。

1945年の4月頃、勤め先の学校からの帰り道、横須賀線に乗っていると警戒警報のサイレンが鳴る。乗客は線路に降り、多摩川の河川敷に避難する。建物の陰に身を隠して、彼は大豆を焼いた非常食を口にする。すると、モンペ姿のやせた若い女子学生らしき人が寄ってきて話しかける、消え入りそうな声で。
 
「お恥ずかしいことをお願いするのですが、もし余分がありましたら、私にも食べさせてくださいませんか」(……)「うちは、ほんとうに食料に困っているのです。戦争はいつまでつづくのでしょうか」(中略)
私は、彼女の顔を、うすぐらい車内灯で見た。彼女はやせおとろえて、勤労動員に通っているとは信じられなかった。死が確実に近づいている。親も、教師も、だれも気づかないのだろうか……。
「戦争は、もうそんなに長くはつづかないと思いますね。絶対、死なないようにね」
鎌倉駅で降りるとき、私は、雑嚢のなかの大豆と干しサツマイモを、全部彼女が持っている袋に入れた。二人は、住所も名前も聞きあうことなく別れた。
鎌倉駅を下りて歩きだしたとき、不意に涙が出てきて、おさえることができなかった。電灯の光ひとつもれていないので、道は暗い。そのなかを、私は、泣きながら、歩いた。
そのとき、私は、技研の自由課題に応じようと決心した。

こうして日高は危険な一歩を踏みだす。誰にでもできる一歩ではないが、かといって、それを手放しに勇気ある行為と讃えることにはためらいがある。しかし少なくとも、ひとりの人間の運命に対して深く心を動かされたこと、そしてそれを行動への原動力としたこと、これは覚えておいていいと思う。

実際に提出されたその自由課題は、著書の最後に付録資料として載っている。題して『国策転換に関する所見』である。その内容については実際に手に取ってもらうほうがいいだろう。

ところで、この本のなかでもうひとつ印象に残る箇所がある。兄三郎の戦死を語る「戦争のなかの死」という一章だ。日高三郎はビルマに遠征し、おそらく1944年に戦死する。「兄の死を知らされたのは44年夏」と記してある。「これ以上にひそやかな、これ以上に心をこめた葬送のいとなみはなかった。父は、天皇のため、国のための一言も発しなかった。(……)それは、私たち家族だけの事件であり悲しみであった。そしてわたしたちが感じたのは、公的に口外できない怒りであった」(強調は原文)。

ここで日高は、兄の死の悲しみよりも息子の死を受け止める父親の態度に大きな比重をかけている。もともと本の副題が「ある家族の肖像」であるし、日高の父親への視線は終始暖かいから、それはそれで不自然ではない。不思議なのは、「父と母と長兄と私」が仏前にいるはずなのに、母の姿がまるで映っていないのだ。一言半句の言及もない。この黒々とした沈黙は何なのだろう。その沈黙の底に、無言でうつむく母を思い浮かべずにはいられない。

むさしまる

おいしい本が読みたい 第29話 歴史の尺度

鶴見俊輔が逝った。享年93歳。大学という場所に早々と見切りをつけて、自由な発言をした人だ。鶴見たちの手になる共同研究『転向』には、学生になりたての頃、多くの教えを受けた思いが強い。とりわけ橋川文三の、論理的かつ文学的芳香を感じさせる論考には、思わず、こんな先生の教えを受けられたらな、と密かに焦がれた。

個別には橋川の論文に心酔したのだが、全体的に見れば、わたしにとって一番の発見は、ひとつのテーマを複数の人々が様々な切り口から考えるという発想そのものだった。ところが、そんなチームワークの長所を、一人でできるからあんな共同研究はやらない、と吐き捨てるように言う人もいる。そして、鶴見のような発言を、専門分野を持たないジャーナリスティックな放言、とくさす。

その鶴見の仲良しに日高六郎がいる。彼もまた、大学紛争を機に学校を見切り、フランスに渡った、わたしに言わせればもっとも純度の高いインテリ、あるいはもっとも感受性の鋭いインテリだ。とはつまり、「インテリ」と言われることにある「引け目」や「うしろめたさ」を感じ、一見インテリに見えないインテリということである。

その日高六郎が、40歳ほど年下の孫に近い年齢の黒川創を相手に対談をし、一巻の書とした。題して『日高六郎・95歳のポルトレ』(新宿書房)。

内容とは別に、読んでいてなんとも心地よいのは、日高が黒川を遇するときの、まったく対等の相手と話すがごとき態度である。老爺は「青二才」の言葉に耳を傾け、まことに素直に応じ、ときには批判に対して反省の弁を口にする。自由な精神とは、こういう生身の人間に対する基本的態度をいう。

たとえば、こんなやりとりがある。少し長いが、日高の人品骨柄が(そして、黒川の歯に衣着せぬ率直な態度も)よく現れている箇所がある。

―フランスの社会では、今のようなひどい政治は許されません、こんなことを政府がしていたら連日デモですよ」と、日高先生はフランスに住みながら、ときどき日本に帰ってきて、そういうお説教をしてまた去ってゆく。でも、普通の人は、そういう暮らし方をするわけにはいかない。たとえばですが、そういう話法が、「評論家的」とか言われて、反発を招いてきたのではないですか?

日高 うふふふ。そうね。でも、あんまりそういうことをね、僕に直接言う人はいないよ。ははははっ。けれども、そう考えている人はたくさんいる。それはよく知っています。

―こんな、なかば腐ったような国でも、ここに暮らす者たちは、なんらかの抵抗をするなり、ある程度あきらめるなり、これとの折り合いのつけかたをそのときそのときで考えていかなきゃいけない。ですから、「フランスだったら」という条件のつけかたをできるような人びとは、ひるむところがあって当然だと思うんです。

日高 そうそう。そうです。そう思います。

このほか、珠玉のことばがポロッと漏れてくる。いわく、「大学の自由に対して敏感でないところで、学問というものは生まれないと思う」とか、「…つまりね、知識人より一歩前に出たわけよ。(…)自分でそういうことを言うとイヤミになっちゃうかもしれないけれども、怖いながらも、一生懸命、一歩出ようとしたわけ。(…)〔韓国に〕行った以上は、一歩出なければいけない。そこに自分を位置づけたい。そういう知識人、評論家でありたい」。

耳朶に小気味よいこれらの言葉のなかで、わたしにとって最大の収穫は、この一句。

「自分の一生をものさしとして時代を見る。そういう歴史観も必要だろうと思う」。

そうなのだ。むろん、マクロな歴史観は是非とももちたい。けれども、そうした抽象的な歴史観は、ミクロな歴史観に支えられてはじめて意味を有するいえるのではないだろうか。自分という生身の身体と、その身体が触れてきた同じ生身の人々、その人々が築き上げている時代を見るまなざしの重要さを忘れないようにしたい。日高のこの一言に触れるだけでも、220ページを追う価値がある。

むさしまる。

おいしい本が読みたい  第二十八話 ハイシャのそうぞうりょく

新型の歯ブラシを作ろう、とか、機械を使わずに虫歯を抜く、ということではない。この場合の「ハイシャ」は、歯医者じゃなくて敗者だ。「そうぞうりょく」は創造力でなく想像力。すなわち『敗者の想像力』で今から30年ほど前に岩波書店から刊行された一書のタイトルである。「インディオのみた新世界征服」との副題を見ると、何をいいたいのかおおよそわかると思う。

そう、ここでの敗者とは南米インカ帝国の先住民族である。そして、勝者とは、スペインの小貴族の次男坊三男坊が役を演じた、悪名高いコンキスタドーレスにほかならない。「歴史とは強者の歴史のことである」とヨーロッパの誰かがいったが、この本を書いたナタン・ワシュテルもフランスの学者で、自分たちの立場をよく認識している。「…歴史を<裏側>から注意ぶかく観察しなければならない。というのは、われわれはいまだにヨーロッパ的な視点を<表>と考えることに慣れきっている」と記すことを忘れない。<裏側>から見るとは、次のような探究をこころざすことだ。

「…エスパーニャ人の到来とは、彼ら(=インディオ)にとって、自分たちの文明の崩壊を意味していた。彼らはこの敗北をどのように生きたか。それをどのように解釈したか。そして、彼らの集合的な記憶のなかに、敗北の追憶はどのように生きつづけているのであろうか」

こうしてワシュテルは、先住民の心の歴史を、もっといえば心の傷の歴史を、辿ろうとする。そのための資料として役立つものは、民族芸能すなわち伝統的な祭りである。広場で演じられるアタワルパの死、それを見守る現地の民衆、「ヨーロッパ製の」ラッパやユーフォニウムを手にするインカ族のオーケストラ団員たち…

こうした資料をどのように扱うか。ここでワシュテルの問題意識が生きてくる。彼は民俗学者と歴史学者の一人二役をめざす。民俗学は分析を通じて問題の全側面の統合を行なおうとし、歴史学はひとつの現実をいくつにも切り分ける。あるいは、「一方で、個別的で実際にあったものを復元すること、他方で普遍的な法則を追求すること」といってもいい。

つまり、「分析と具象との間の往復運動」、「理論的分析による抽象化と、生の体験の理解との間の緊張」がワシュテルの手法というわけだ。以上のことはワシュテル自身が序論に記したことを簡略化しただけのことだ。それに、彼独自の視点というわけでもないだろう。わたしがこの学者を信用するのは、いわば公式見解といえる往復運動論、抽象化と生体験との緊張関係論を越えて、ぽとりと熱い魂のようなものがほとばしる瞬間があるからだ。

この一節に耳を傾けてほしい。

「だが、こうした分析は、(あらゆる抽象作業の場合に起こることだが)歴史的事実の持つ、それ限りの、かけがえのない性質を見逃させてしまう。どのような定式化を行なってもはっきりと表現することのできない、独自の様式や、経験された個々の特異性が存在する。征服された人々の目に映じたものを理解するためには、土着の人々の証言に含まれたいっさいの詩、そしてまたいっさいのはげしさに身をひたす必要がある」

ここにはひとりの詩人の魂が宿っている。敗者の想像力を生きるには、詩人の想像力がなければならない。さもなければ、「征服者」の視点から「征服」を語り、それによって知らず知らずのうちに「征服」を再生産することになるのではないだろうか。
むさしまる

おいしい本が読みたい 第27話

第二十七話 あの頃の中国が…


もののはずみで、『台湾海峡1949』(リュウ・オウダイ)、『ワイルド・スワン』(ユン・チアン)と中国系の作品を続けて読むことになった。どちらもノンフィクションで、作者は女性である。主人公が作者の母親(あるいは母親と祖母)という点も共通している。激動などという生易しいことばでは到底いい表わすことのできない中国の現代を描いて秀逸な二作だと思う。じつをいうと、『ワイルド・スワン』の最終章の数ページは、本を読み終えて閉じるのが惜しくて、10日ほどぐずぐずと、机のわきにほったらかしておいた。

近所の食堂の親父から映画の会の誘いがあったのは、ちょうどそのぐずぐずしている頃だった。映画好きが集まって一本の作品を大型テレビで見ながら酒を喰らって語り合う場である。今回は中国映画だという。不思議なめぐり合わせで、二つ返事で出席のメイルを送ったものだった。

今回は例外的に、この映画について書いておきたい。原題は「我的父親母親」、英語のタイトルは「The Road home」、そして邦題は「初恋のきた道」。監督チャン・イーモー。

寒村に赴任する町の若い先生に恋をした娘が、身分差を越えて結ばれるまでの話だ。「まれびとと村の娘の恋」という、それこそ物語の王道を行く、ありふれた筋書きである。絵画でいえば「図」に相当するその40年前の「恋の行く末の物語」がカラーで、それを取り巻く「地」に相当する現在の部分が白黒で表現される。この「図」と「地」のバランスは、通常のそれより「地」の比重が大きい。現在のリアリティーを軽視しないということなのか。

もう一度書くが、40年前の「物語」はありふれた構図である。しかし、そんな単純な筋立てを支える舞台が、譬えようもなく美しい(そして、走る女が譬えようもなく…)。

たとえば、急死した父親の部屋で、新婚時代の両親の写真を見ながら、時計のコチコチという音ともに回想シーンが始まるところ。初めて先生が荷馬車に乗って、丘と丘に挟まれた草原の緑のなかを、うねうねと曲がりくねる細い道を、土煙をあげながら走り来る。道脇には牛が囲われ、荷馬車は羊の群れを追い払いながら進んでゆく。もうひとつ、子供を送る先生を追って白樺林を駆け抜ける女。ピンクの上着に包まれた彼女は、黒髪のおサゲを緑の紐で束ね、首には真っ赤なスカーフをまとい、白樺の白い幹のあいだを蝶のように駆け抜ける。目線の先には、秋色に染まった木々の葉のあいだに先生と子供たちの飛び跳ねる姿が映る。

白樺の木の幹は思いのほか細く、ここ30年とか40年の若々しい木立に見える。ここで、映画のなかの暦の数字を思い起こしたい。先生が帰ってくると明言した年月は1958年12月8日である。冬休み前には、と。1958年? そう、中国全土で3千万とも4千万ともいわれる人々が餓死した、かの「大躍進」の号令がかかった、暗黒の時だ。監督の故郷の西部はいざしらず、舞台になった河北省では、どう考えても食料の豊かさは「まぼろし」でしかない。当時の白樺林の丘は丸裸だったろう。

監督チャン・イーモーの父親は国民党の関係者であった。とすれば、1958年のチャン・イーモーは、共産党政権から徹底的な弾圧を受けたはずで、おそらく、ほとんどまともな食事にありつけない少年だった。してみれば、映画に描かれた自然も、「たんと食べさせておやり」という母親のことばも、非現実というより、監督の経験した現実を反転させた「夢」にほかならない。ことばを換えていえば、ウソではなくフィクションにほかならない。

むさしまる

おいしい本が読みたい 第26話

第二十六話  追悼文はつらいよ

著名人の物故者が生まれるたびに新聞紙上に追悼文がのる。故人の業績を褒めたたえ、その人柄を懐かしみ、「一時代が終わった」と締めくくる。たぶん、そんな書式が暗黙のうちに出来上がっているのではないか。むろん死者に発言権はなく、いかに追悼文が的外れでも反論はできない。生き残って書く側のほうが勝ちなのだ、とりあえず。

 では、生き残って追悼文を書く側が、好き勝手に書けるかといえば、政界、財界ならいざ知らず、こと文学界に関して言うと、それほど単純ではないらしい。たとえば「本の雑誌」6月号の特集は「追悼は文学である。だから、追悼を書く側も「文学」の範疇に入れられて、それはそれで人目が厳しい。

 その特集に登場する嵐山光三郎の『追悼の達人』(中公文庫)が今回お勧めの目玉である。明治から昭和まで、49人の文学者に対する追悼文の集大成だ。これはこれで日本近代の立派な「裏文学史」となっている。夜、寝る前のひと時、枕元で一人か二人の死者への追悼を目で追う、これはあっていい仕草ではないか。

 内容は、明治の尾崎紅葉を送る後藤宙外の「嗚呼紅葉逝けり」の美文調の始まり、小林秀雄に対する中上健次の、さすが中上と言うべき見事な追悼で締めくくられる。

「私も坂口安吾も、小説、物語という場に足場を築いた事は共通しているが、私のほうはさらに巨大な知の総体である小林秀雄氏を撃つ為、心ある近代現代の作家なら一度は通る上田秋成を擁立するように<やまとごころ>をとく本居宣長に対置し、文学ではなく物語(モノカタリ)、今、新たに言い直すなら小説としか言いようのないものを持ち出した(……)結局は、訃報の待ち受ける夜に向かって沈んだ怖ろしいほどの大きな赫(あか)い日が『来迎図』を語る小林秀雄氏の文章と重なって、崇高な思い出のように今はある」

こんな文を書かれたら、いや書いてもらったら、もって瞑すべしであろう。文学者の追悼は追悼する側の力量が問われるから怖い。筆者もそんな趣旨のことをどこかに書いていた。その筆者嵐山があとがきで、自分の父親の死に際して「なにも言葉を発しえないことを実感として知った」と記している。追悼の一方の極にはこれがある。わたしたちは、表現と沈黙のはざまを生きるしかない。

 肉親ではないが、嵐山にはある意味で肉親以上であった人間に、深沢七郎がいる。その深沢を嵐山は「オヤカタ」と呼んで親しみ、かつ心酔した。しかし相手は、類まれな洞察力と不思議な思いやりとエゴイスティックなまでの果断さと傷つきやすさを合わせもつ、いわば稀代の奇人。文字で読むかぎりは、誰よりも魅力的だが、実生活を共にするには覚悟がいっただろう。心酔する師匠にいつ斬り捨てられるか分からない、緊張と情愛のからまる歳月を、嵐山は「小説 深沢七郎」の副題をもつ『桃仙人』(中公文庫)に結実させた。この書は、いってみれば嵐山による長い長い追悼文である。行間に漂う惜別の痛みは、一読の価値あり。

むさしまる




過去のおいしい本が読みたい

過去の記事はこちらです。


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