一般財団法人 知と文明のフォーラム

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

書いた記事数:51 最後に更新した日:2017/06/20

search this site.

others

mobile

qrcode
無料ブログ作成サービス JUGEM

おいしい本が読みたい 第30話 歴史の尺度(修正版)

最初に恥を忍んで記す、前言撤回ないし修正、と。前言とは、「歴史の尺度」と題した前回の内容のことだが、末尾にこんな書き方をした。

「自分の一生をものさしとして時代を見る。そういう歴史観も必要だろうと思う」日高のこの一言に触れるだけでも、220ページを追う価値がある。

ここの部分をしばらく括弧に入れておきたい。むろん、この一句に異論が挟みたくなったのではない。こちらの態度がいささか安易に過ぎることを思い知らされたからである。不明を恥じるとはこういうときに使うのだろう。

じつは、前回紹介した『95歳のポルトレ』の後、ある先輩から、日高の本ならもっと良いものがあると勧められた。『戦争のなかで考えたこと―ある家族の物語』(筑摩書房)がそれだ。中国の青島で日中戦争を迎え、青年期を太平洋戦争に翻弄された人間の一生を、簡単にまとめてしまうことの愚を、この本で教えられた。せめて、戦中の日高の後ろ姿だけでも紹介して、愚行のおとしまえをつけたい。

日高は戦中の1941年に大学を卒業し、43年から母校の文学部助手になっている。そして翌44年の秋、ほぼ徴用に近い形で海軍技術研究所の嘱託に採用される。仕事の内容は「時局についての研究調査」だという。ある日、時局の現状について、意見があるならば、率直かつ自由に書いて提出せよ、との事務連絡がある。すでに敗色濃厚な時期だ。とはいえ、迂闊なことは言えないし書けない。彼は学者としての良心と玉砕を押し付ける軍部の狂気にはさまれて苦悩する。冷静な分析結果は軍部批判になりうる。遅疑逡巡する彼の背中を押したのは何か、誰か。ひとりの見知らぬ女子学生である。

1945年の4月頃、勤め先の学校からの帰り道、横須賀線に乗っていると警戒警報のサイレンが鳴る。乗客は線路に降り、多摩川の河川敷に避難する。建物の陰に身を隠して、彼は大豆を焼いた非常食を口にする。すると、モンペ姿のやせた若い女子学生らしき人が寄ってきて話しかける、消え入りそうな声で。
 
「お恥ずかしいことをお願いするのですが、もし余分がありましたら、私にも食べさせてくださいませんか」(……)「うちは、ほんとうに食料に困っているのです。戦争はいつまでつづくのでしょうか」(中略)
私は、彼女の顔を、うすぐらい車内灯で見た。彼女はやせおとろえて、勤労動員に通っているとは信じられなかった。死が確実に近づいている。親も、教師も、だれも気づかないのだろうか……。
「戦争は、もうそんなに長くはつづかないと思いますね。絶対、死なないようにね」
鎌倉駅で降りるとき、私は、雑嚢のなかの大豆と干しサツマイモを、全部彼女が持っている袋に入れた。二人は、住所も名前も聞きあうことなく別れた。
鎌倉駅を下りて歩きだしたとき、不意に涙が出てきて、おさえることができなかった。電灯の光ひとつもれていないので、道は暗い。そのなかを、私は、泣きながら、歩いた。
そのとき、私は、技研の自由課題に応じようと決心した。

こうして日高は危険な一歩を踏みだす。誰にでもできる一歩ではないが、かといって、それを手放しに勇気ある行為と讃えることにはためらいがある。しかし少なくとも、ひとりの人間の運命に対して深く心を動かされたこと、そしてそれを行動への原動力としたこと、これは覚えておいていいと思う。

実際に提出されたその自由課題は、著書の最後に付録資料として載っている。題して『国策転換に関する所見』である。その内容については実際に手に取ってもらうほうがいいだろう。

ところで、この本のなかでもうひとつ印象に残る箇所がある。兄三郎の戦死を語る「戦争のなかの死」という一章だ。日高三郎はビルマに遠征し、おそらく1944年に戦死する。「兄の死を知らされたのは44年夏」と記してある。「これ以上にひそやかな、これ以上に心をこめた葬送のいとなみはなかった。父は、天皇のため、国のための一言も発しなかった。(……)それは、私たち家族だけの事件であり悲しみであった。そしてわたしたちが感じたのは、公的に口外できない怒りであった」(強調は原文)。

ここで日高は、兄の死の悲しみよりも息子の死を受け止める父親の態度に大きな比重をかけている。もともと本の副題が「ある家族の肖像」であるし、日高の父親への視線は終始暖かいから、それはそれで不自然ではない。不思議なのは、「父と母と長兄と私」が仏前にいるはずなのに、母の姿がまるで映っていないのだ。一言半句の言及もない。この黒々とした沈黙は何なのだろう。その沈黙の底に、無言でうつむく母を思い浮かべずにはいられない。

むさしまる

スポンサーサイト

  • 2017.06.20 Tuesday
  • -
  • 21:55
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする








   

一般財団法人 知と文明のフォーラム

Copyright (C) 一般社団法人 知と文明のフォーラム All Rights Reserved.
ページトップ▲