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    楽しい映画と美しいオペラ――その52

    • 2014.02.03 Monday
    • 17:02
    音楽の真摯な探究者――クラウディオ・アバドを追悼する


    昨年の私の音楽体験で最大の痛恨事は、クラウディオ・アバドを聴けなかったことである。アバドが指揮するはずであったルツェルン音楽祭管弦楽団演奏会のチケットを買ってあったのだが、彼は体調を崩して来日できなかった。ガンを患っていることは知っていたが、8月の音楽祭には元気な姿を見せていたので、これは思いがけないことだった。しかしいくたびも重病を克服してきたアバドである。また聴く機会もあるだろうと呑気に考えていた。ところが、突然の訃報である。彼は1月20日、帰らぬ人となってしまった。享年80歳。この、誰からも愛されたという稀有の指揮者は、私にとってもまことに大切な存在であった。

    何よりも私は、アバドから「音楽の楽しさ」を教えてもらった。バッハ、モーツァルト、シューベルトなど、主にドイツ・オーストリアの音楽ばかリを聴いていた私に、明るいイタリアの音楽を教えてくれたのはアバドだった。彼の指揮するロッシー二は美しく軽やかで、心を浮き立たせてくれた。フランスの演出家ジャン=ピエール・ポネルと組んだ《セビリアの理髪師》と《チェネレントラ(シンデレラ)》は、私が家族とともにもっとも楽しんだビデオである。1980年代であるから、ビデオの媒体はLD。この短かったLD時代は、私のオペラ体験の原点である。アバドは、今となっては懐かしい、我が家の団欒の中心に存在していた。

    ヴェルディは、ロッシー二、モーツァルトとともに、私のもっとも愛するオペラ作曲家だが、その中期の作品、《シモン・ボッカネグラ》の魅力を教えてくれたのも、アバドである。彼が1977年に録音した《シモン》は、カップチルリ、フレーニ、ギャウロフ、カレーラスという錚々たる歌手の名唱とも相俟って、未だにこれを超えるCDはないともいわれている。この作品の初演は、ヴェルディのメロディがもっとも美しい時期、彼が43歳の頃だが、67歳になって大幅に改訂した。中期のロマンティシズムと晩期の管弦楽の充実とが見事に融合した傑作である。しかし1970年代のアバドの積極的な上演がなければ、いまの私がこのように楽しめる状況になっていたかどうか。

    じつは私は、1992年に一度アバドを聴いている。オール、ブラームス・プログラムで、会場はサントリーホール。オーケストラはベルリン・フィルで、ピアノ協奏曲第2番のソリストはウォルフガング・ブレンデルだった。しかし、どうもアバドを聴いたという印象は薄い。心に染み入る演奏で、ああ、ブラームスだ!と感銘は深かったのだが。どうやらアバドは、たとえばアーノンクールのように、強烈に自己主張する音楽家ではないようだ。彼のタクトからは、「アバド」ではなく、「作曲家」その人の音楽が流れ出る。ロッシーニ、ヴェルディ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、マーラー、ブルックナー、シェーンベルク、ベルク、ムソルグスキー……。どれほどの作曲家の音楽を、彼を通して聴いてきたことだろう。そしてそのことは、西洋音楽を受容するにおいて、もっとも正統的かつ豊かな道であったことを、いまになって確信する。

    訃報を聞いて、2011年夏のルツェルン音楽祭の演奏を聴き直した。モーツァルトの《ハフナー交響曲》第4楽章の生気あふれる躍動感、ブルックナーの《交響曲第5番》第2楽章の谷川のせせらぎのような清澄感……。アバドの音楽は楽しく、美しく、また、心に限りない慰めを与えてくれた。改めてアバドに、心からなる感謝を捧げたい。

    2014年1月30日 j.mosa