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    楽しい映画と美しいオペラ――その56

    • 2015.04.23 Thursday
    • 15:53
    鳥は老いて宙を舞う——『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』


    音楽的な感受性が豊かな映画監督は、おおよそ名監督ではないかと思う。ちょっと思い浮かべるだけでも、ベルイマンはバッハやアルビノーニ、ブルックナーなどから宗教的な深さを抽出したし(『鏡の中にある如く』『ある結婚の風景』『サラバンド』)、ヴィスコンティはマーラーやワーグナーの、体内に沁み入るような官能性を映像化した(『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』)。フェリーニの『そして船は行く』には、『運命の力』や『アイーダ』などのヴェルディ作品が、映画の展開になくてはならぬ重要な要素として挿入されている。

    もちろん、スタンリー・キューブリックを忘れてはならない。『2001年宇宙の旅』の開幕と終幕は、その意表を突く衝撃性で映画史上に輝いているが、そこに鳴り響く2人のシュトラウスの代表作品抜きには、あの映像美も半減することだろう(『ツァラトゥストラはかく語りき』と『美しく青きドナウ』)。

    『バードマン』のイニャリトゥも、この1作で、上記の名監督の仲間入りをした。全編を支配する音楽はジャズである。それもドラムのみ。強拍のリズムと、時に爆発する音響。主人公の老俳優、リーガン・トムソンの焦りと高揚感を表現して見事。しかしこれに近いようなことは、たとえばルイ・マルが『死刑台のエレベーター』ですでにやっている。イニャリトゥのすごさは、ジャズに対比して、何曲ものクラシックの名曲を、しかも何気なく挿入していることだ。この効用は著しい。

    マーラーの『交響曲第9番』は哀切極まりないが、それがチャイコフスキーの『交響曲第5番』では甘い哀愁となる。追憶的な響きのラヴェルのピアノ・トリオ。その他ラフマニノフなど聞き覚えのあるメロディがいくつも流れて、しかしいずれも映像と同化して音楽そのものを主張しない。音楽の「現代と伝統」は、この映画のテーマでもある「映画と演劇」、主人公の「過去と現在」、あるいは「仕事と家庭」などと同様、見事な二項対比となっている。

    音楽はもちろんこの映画の観どころのひとつにすぎない。切れ目を感じさせない映像の連続性は、観る者に不思議な空間意識を覚えさせる。たとえば、ブロードウェイの街を俯瞰しているカメラが、カット割りなくそのまま主人公の劇場控室に侵入する。劇場裏から誤って締め出された主人公が慌てて正面入り口までたどり着く場面も1カットである。主人公の意識と映像が一体化していて、強いリアリティを感じたものだ。

    主人公リーガン・トムソンは、かつてハリウッドの大衆映画『バードマン』で人気の俳優だった。その第3作からすでに20年、名前すら忘れられかけている。一念発起してブロードウェイで芝居をかけようと目論む。脚本、演出、主演という破天荒な試みがうまくいくはずがない。過去の栄光を忘れられず、自らの非力も顧みず夢を追うというのはまことに通俗的な話である。しかしそこには人生の喜怒哀楽がたっぷり詰まっているということをこの映画は教えてくれる。しかも、外連たっぷり、皮肉たっぷり、笑いもたっぷり。じつに贅沢な映画である。作品賞、監督賞など4つの賞を与えたアカデミー賞も捨てたものではない。

    「芸術家になれない者が批評家になり、兵士になれない者が密告者になる」と、主人公は高名な演劇批評家に毒づく。まったくそのとおり。では、批評家にも密告者にもなれない者はどうなるのか? この映画はその答えを用意しているのか? 老いた「バードマン」が軽やかに宙を舞うところでこの映画は終わるのであるが……。

    2014年アメリカ映画
    監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
    脚本:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
    ニコラス・ジャコボーン
    アーマンド・ボー
    アレクサンダー・ディネラリス・Jr
    音楽:アントニオ・サンチェズ
    出演:マイケル・キートン
    エドワード・ノートン
    エマ・ストーン
    ナオミ・ワッツ
    ザック・ガリフィアナキス
    2015年4月14日 於いてTOHOシネマズシャンテ
    2015年4月17日 j-mosa