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    楽しい映画と美しいオペラ――その61

    • 2015.12.26 Saturday
    • 16:41
    森鴎外、作家と軍人の狭間で——『鴎外の怪談』にみる大逆事件


    先日はじめて文京区にある森鴎外記念館を訪れた。それも他用のついでということで、私にとって鴎外がいかに遠い存在であったかが分かる。鴎外の代表作といわれる『澁江抽齋』や『伊澤蘭軒』といった史伝は手元にあるものの、まだ読み通せていない。巻頭に長々と綴られる主人公の履歴だけでも、読む意欲を減殺させるに十分である。鴎外はやはり官僚で軍人なのだと、敬して遠ざけていたのが現実である。

    記念館訪問数週間後の深夜、テレビのスイッチを入れると、偶然にも『鴎外の怪談』なる芝居が放映されている。学生時代の几帳面極まるノートなど、鴎外の印象がまだ強かったゆえ、そのままその芝居を見続けてしまった。というよりも、面白すぎて、途中で止めるわけにはいかなかったのである。そして、鴎外への偏見が見事に吹き飛んでしまった。そこには、嫁と姑の間でうろたえる鴎外がおり、官僚と作家の狭間に苦悩する鴎外がいた。

    芝居で描かれるのは、1910(明治43)年10月下旬から4か月間の森家での出来事である。森家、即ち観潮楼の二階ですべての物語が進行する。ちなみに、鴎外が1892(明治25)年から亡くなる1922(大正11)年まで過ごしたこの観潮楼の跡地に、現在の森鴎外記念館は建っている。

    さて、1910年5月25日、「大逆事件」の大検挙が開始される。幸徳秋水はじめ多数の社会主義者・無政府主義者たちが、明治天皇暗殺計画に関与したとして逮捕された(大杉栄、荒畑寒村、堺利彦、山川均は、赤旗事件で有罪となり獄中にいたため連座を免れた)。この大逆事件をめぐって、芝居は進行する。

    登場人物のうち、森鴎外(48歳)、母・峰(64歳)、妻・志げ(29歳)、鴎外の先輩・賀古鶴所(55歳)、「スバル」の編集者で弁護士・平出修(32歳)、「三田文学」の編集長で作家・永井荷風(31歳)の6人は実在の人物である。鴎外は当時陸軍軍医総監。軍人あるいは官僚として、位階を極めていた。

    いっぽう鴎外は、1890(明治23)年に小説の処女作『舞姫』を発表していたし、アンデルセンの『即興詩人』も翻訳するなど、文学者としても知られた存在だった。荷風が若くして慶應義塾大学のフランス文学科の教授になれたのも、鴎外の推薦があったからだという。これらの情報はすべてこの芝居から得たのだが、いずれにしても1910年末から翌11年初めごろの鴎外は、軍人としても作家としても、確固とした地位を占めていた。

    そんな鴎外が、森家の体面しか頭にない厳格な母と、作家としても売れはじめたわがままな妻との間で右往左往する姿が、まず描かれる。母親役の大方斐紗子の名演も相俟って、喜劇的要素をたっぷり含んだ芝居のこの導入部は秀逸である。のっけから私の鴎外像は崩されることになるのだが、このあたりの事情は、短編『半日』(1909年)に詳しい。

    創刊されて間もないふたつの雑誌の編集者、「スバル」の平出修は大逆事件の被告2人の弁護人でもあり、「三田文学」の編集者永井荷風は大逆事件の本質を見抜いていた。荷風は、鴎外が「三田文学」に発表したばかりの『沈黙の塔』を、思想弾圧に明確に反対するものであると看破し、それは、政権を裏で操る山縣有朋の急所を撃つものではないかと、鴎外に迫る。荷風の攻撃をのらりくらりとかわす鴎外は、いっぽうで平出修と大逆事件の弁護方針を秘密裏に練るのだった。

    賀古鶴所(かこつるど)の名前をはじめて目にしたのは森鴎外記念館においてである。彼は鴎外とともに常盤会なる短歌会を興しているし、鴎外の遺言を口述筆記した人物でもある。鴎外の信頼厚い友人であったことが分かる。常盤会には山縣有朋も関与していて、会は賀古邸と山縣邸(椿山荘)とで交互に開催されたという。この芝居においては、賀古は官僚としての鴎外を支える立場である。そして、芝居には登場しないけれども、時の権力者山縣有朋がキーパーソンとなっていく。

    永井荷風は若く、正義感に溢れている。大逆事件の裁判の欺瞞性を訴え、裏で操る山縣有朋を動かすしか幸徳秋水らを救う道はないと考える。そして、それができるのは、軍人としても文学者としても山縣とつながりが深い鴎外のみである、と主張する。この動きを牽制するのは賀古鶴所と母の峰。文学者と軍人の間で懊悩する鴎外。最後の決断に背を押したのは妻の志げの一言だった。「私は『舞姫』を書いた鴎外に恋をした」という。

    深夜、山縣邸に赴こうとする鴎外の前に立ちはだかったのは、なぎなたを携えた母の峰である。「津和野藩亀井家の御典医を代々務めてきた森家をつぶす気か」と凄み、「それでも行くというのなら私は自害する」と短刀を喉に突きつける。母と妻の間で、鴎外はまたもぶざまな醜態をさらすことになる。

    1911(明治44)年1月18日、大逆事件に対して、死刑24名、有期刑2名の判決が出る。1月24日に幸徳秋水、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新美卯一郎、内山愚童の11名が、翌25日に管野スガが処刑された。死刑判決が出た者のうち12名は特赦で無期刑となる(平出修が弁護した2人はこのなかに入っている)。

    大逆事件の判決が出る前にその結果は漏れていたというから、裁判はまったくの茶番だった。権力が意のままに思想弾圧をしたいい例である。荷風はこの事件のあと戯作者に転向するのだが、その心境を『花火』(1919年)に記している。「日本はアメリカの個人尊重もフランスの伝統遵守もなしに上辺の西欧化に専心し、体制派は、逆らう市民を迫害している。ドレフュス事件を糾弾したゾラの勇気がなければ、戯作者に身をおとすしかない」。この芝居を観て私は、鴎外だけではなく、荷風をも見直すこととなった。

    2015年12月7日 NHKBSプレミアムで放映
    二兎社公演
    作・演出:永井愛
    出演:金田明夫、水崎綾女、内田朝陽、佐藤祐基、高柳絢子、大方斐紗子、若松武史
    2015年12月19日 j-mosa