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    楽しい映画と美しいオペラ――その66

    • 2016.09.19 Monday
    • 23:00

    象徴性に溢れた名舞台――二期会の『トリスタンとイゾルデ』


    『トリスタンとイゾルデ』第2幕の劇的な幕切れ。私は拍手をすることができなかった。できなかったというより、拍手を忘れた。あるいは忘れるくらい呆然自失の状態に連れていかれた。緊張感に満ちた音響が、畳みこむように聴く者の全身を包みこむ。トリスタンを裏切った、友人メロートとの決闘の場面である。トリスタンは瀕死の重傷を負うのだが、それが相手によるものなのか、自らの手によるものかは問わず、いずれの演出でも十分に衝撃的である。しかしこの舞台は、それだけでは終わらない。

     

    舞台装置といえば、左右の巨大なパネルのみ。そこには、細かな草様の模様が、暖かい色彩で無数に描かれている。それは、春の命の息吹のように、太陽に向かって点描されている。床にも同じような、一面の点描画。そして中央に一層の小舟。この小舟を、トリスタンとイゾルデは、静かに漕ぐ。前にイゾルデ、後ろにトリスタン。立ったまま、静かに漕ぐ。歌手の動きは、ワーグナー随一の官能の音楽と溶けあう。有名な愛の二重唱の場面である。永遠の愛もあり得るのか! この曲がこれほど身に染みたことはない。

     

    第1幕も、また第3幕も、舞台装置は同じである。ただパネルに描かれた絵は異なる。第1幕は、海を表す青い波様の模様。第3幕は、墨を天に向けて跳ね上げたような、荒々しい、漆黒の図形。第2幕の模様も含めて、それぞれは各幕の主題を象徴する。そして、すべての幕に登場する小舟は、トリスタンとイゾルデの愛の象徴であろう。これらのことは、頭で考えるまでもなく、ワーグナーの音楽に導かれて観劇するうちに、おのずから分かってくる。優れた演出とはこう舞台をいうのだろう。

     

    最近のバイロイトは伝統を壊すに急で、演出が音楽の素晴らしさを妨げている。細かな動作ひとつひとつに意味を問わねばならないとしたら、観る者は疲れるだけだ。かといって、2007年のミラノ・スカラ座のパトリス・シェローの舞台など、重々しい装置も含めて、リアルに過ぎる。ワーグナーの音楽は象徴に満ちているのだ。その音楽をそのまま舞台にする、それで成功したのが、今回のヴィリー・デッカーの舞台であろう。

     

    さて、問題の第2幕の幕切れである。ヴィリー・デッカーのプロダクションをこれから観ようとする方のためにも、ここで明かすのはヤボというものだろう。ただ、幕切れ近くの、トリスタンとイゾルデの会話を注意深く聴くなら、この意表をつく終わり方も、決して不自然ではない。いずこに行こうと、二人の魂はともにあるのだから。

     

    60年余の二期会の長い歴史のなかで、今回がはじめての『トリスタンとイゾルデ』だという。まさに満を持しての上演であるが、その思いは十分伝わってきた。タイトルロールの福井敬と池田香織は、大型の欧米の歌手に決して引けをとらない。日本人歌手の水準の高さを改めて実感させられた。もちろん全体を統括したスペインの指揮者、ヘスス・ロペス=コボスが、上演成功の第一の功労者であろう。読響を通して紡ぎ出されるワーグナーの無限旋律に、私はすっかり酔ってしまった。

     

    2016年9月11日 東京文化会館

     

    トリスタン:福井敬
    イゾルデ:池田香織
    ブランゲーネ:山下牧子
    マルケ王:小鉄和広
    クルヴェナール:友清崇
    メロート:村上公太
    牧童:秋山徹
    舵取り:小林由樹
    若い水夫の声:菅野敦

    指揮:ヘスス・ロペス=コボス
    合唱:二期会合唱団
    管弦楽:読売日本交響楽団

     

    演出:ヴィリー・デッカー

     

    2016年9月17日 j.mosa


     

    楽しい映画と美しいオペラ――その65

    • 2016.09.01 Thursday
    • 01:04

    誰が『ローマの休日』を書いたのか――『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

     

    8月16日にNHKBSで放映された『ジョニーは戦場に行った』は、アメリカの名脚本家、ダルトン・トランボの唯一の監督作品である。名画にはいい脚本は不可欠だが、脚本が優れているからといって名画になる保障はない。この作品もいささか平板で、映画としての面白味に欠ける。しかし、「命とはなにか」「正義とはなにか」「戦争とはなにか」を問うて、原作者トランボの問題意識の高さが窺われる。そのトランボの、戦後13年間の苦闘を描いた映画が、『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』である。

     

    トランボを苦しめた元凶は、1938年に設立された下院非米活動委員会House Committee on Un‐American Activities(略称HUAC)である。これは国内のナチス支持集団による破壊活動の抑制を目的として設立されたのだが、やがてその主要目標を共産主義者へと転じる。そしてハリウッドでは、HUACに迎合する組織「アメリカの理想を守るための映画同盟」が結成される。ここの議長、ジョン・ウエインとトランボの対決は、この映画の観どころのひとつである。

     

    1947年当時、トランボはハリウッドきっての売れっ子脚本家で、妻と3人の子どもとともに充実した日々を送っていた。しかし労働問題に取り組むなど社会意識の高かったトランボは、冷戦を背景としたHUACの赤狩りにまっさきにひっかかってしまう。議会に召喚され、証言を拒否したことで議会侮辱罪で訴追される。裁判で敗訴し、1950年6月から51年4月まで刑務所に収監されることになる。

     

    トランボと志を同じくする映画人は「ハリウッド・テン」と呼ばれたようで、彼らをはじめ「破壊分子たち」はブラックリストに載せられ、1947年以降業界から追放される。これに抵抗するトランボたちの活躍が、この映画のハイライトである。働かなければ食ってはいけない。しかし働く場を奪われている。ではどうしたのか。偽名を使い、あるいは人の名を借りて脚本を書き続けたのだ。『ローマの休日』はこうして生まれた。アカデミー賞原案賞は、名を借りた友人のイアン・マクレラン・ハンターが受け取った。

     

    痛快なのは、B級映画のプロデューサー、フランク・キングとの関わりである。彼は政治にはまったく関心がなく、金と女のために映画をつくっているような男。トランボたちは彼から、「質は最低限、量は最大限」の仕事を安値で請け負う。クレジットはもちろん偽名である。HUACがかぎつけてトランボたちの排除を進言するが、キングはバットを振り回してその代理人を追い返してしまう。

     

    政治信条など持たない、自分の欲望に忠実なキングのような男がトランボたちの窮状を救ったのとは対照的に、思想上のかつての同志、俳優のエドワード・G・ロビンソンは、公聴会で仲間を密告する(この映画には登場しないけれども、『エデンの東』の監督、エリア・カザンも11名の仲間を売った)。理念は簡単に崩れ去るけれども、欲望に根差した事業欲は結構しぶとい、という好例か。

     

    俳優のカーク・ダグラス、監督のオットー・プレミンジャーはいい役どころである。前者は『スパルタカス』、後者は『栄光への脱出』の脚本を依頼するためにトランボを訪れる。ともにHUACの圧力を跳ね除けてのことである。1960年に公開されたこの2作品で、トランボの名前がクレジットに復活することになる。苦節13年、ダルトン・トランボは硬軟の手段を使い分けて、見事に映画界に復活を果たした。

     

    この映画では、かつてのフィルムを随所に挿入することで、リアリティの厚みを増している。元大統領、ニクソンとレーガンはニュース映画で登場するが、2人ともHUACで暗躍する若き姿である。いっぽうケネディは、『スパルタカス』を絶賛することで、大いに点数を稼いでいる。『スパルタカス』といえば、ヒロイン、ジーン・シモンズが大きく映し出されて、その美しさは、私を遥か中学生時代まで連れ戻してくれた。

     

    この映画は、アメリカの暗黒時代を、リアルに細やかに描いた社会派作品である。しかしその手法は、軽やかでユーモアに富んでいる。裏切り者の背景にもキチンと目を向ける優しさもある。また、家族を顧みないトランボの独善性が妻の視点で捉えられるなど、じつに重層的な視野を持つ。近頃では傑出した作品のひとつといえるだろう。

     

    2016年8月29日 TOHOシネマズシャンテ
    2015年アメリカ映画
    監督:ジェイ・ローチ
    脚本:ジョン・マクナマラ
    出演:ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、ヘレン・ミレン、ルイス・C・K、マイケル・スタールバーク、ジョン・グッドマン、エル・ファニング

     

    2016年8月31日 j.mosa