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    楽しい映画と美しいオペラ――その73

    • 2017.06.29 Thursday
    • 10:17

    意表をつく映像美と深遠なメッセージ――ドゥニ・ヴィルヌーヴ『メッセージ』

     

     

     

    オペラにしろ、文楽にしろ、また演劇にしろ、生身の人間が眼前で演じる舞台は、演者の発する稀なエネルギーを直接身体に感じることができる。切ない恋を語る演者のセリフ、歌手の喉から溢れ出る甘美なメロディ、ホールをどよめかすオーケストラの響き……。劇場の椅子に身を沈めていると、全身が至福の感覚に満たされる。

     

    いっぽう、そのような舞台では表現できない世界の現象というものがある。そこに映画の存在価値があり、コンピュータ技術の進歩によって、その価値は益々高まっている。『メッセージ』は、現実にはありえない現象を、意表をつく映像美に見事に結実させて、映画の底力を示してくれた。

     

    突然、世界の12の地点に現れた巨大な飛行物体。高さ500m近い、ラグビーボールを縦に二等分したような物体が、モンタナの平原に浮かんでいる。周囲の山々や雲を背景に、不気味に浮かぶ奇怪な物体の姿は、息を飲む意外性がある。

     

    7本足の、タコを思わせるエイリアンの姿も、CGを駆使してリアリティがある。しかしそれよりも、彼らの手から発せられる環状の墨絵様の文様は、大型のスクリーン一杯に展開されて、まるで抽象絵画の美しさだ。自在に変化するその文様は、いったい何を表現しているのか。

     

    飛行物体の入口空間、それは巨大なトンネル様の空間なのだが、周囲は鋭い凹凸のある不気味な壁に覆われている。光速を超える飛行物体でありながら、この原始的な空間は異様である。ここはエイリアンとのコミュニケーションの場で、原始的な異様さはその困難さを象徴しているようだ。これはCGではなく、巨費をかけてつくられたのだという。やはり、リアリティの重みがちがう。

     

    エイリアンは何のために地球にやってきたのか。12の地点に同時に到着したのはなぜか。モンタナでは、その疑問を探る学者として、言語学者のルイーズと物理学者のイアンが選ばれる。地球上の他の11の地点でも同様の試みが行われて、それらは回線で結ばれている。

     

    いかにしてエイリアンとの意思疎通をはかるか。この映画のテーマははっきりしている。コミュニケーション、そしてその困難さである。主人公ルイーズの、亡き娘とのコミュニケーションとも交錯させながら、その本質に迫ろうとする。さらに、過去と未来を自在に往還できるという、最先端物理学の命題も含まれていて、映画の厚みを増している。ただ、せっかく物理学者をメインの登場人物にしていながら、このテーマが深められていないのは少し残念。

     

    ITが進歩して、私たちは多様なコミュニケーションの手段を獲得した。にもかかわらず、人と人とが理解することの困難さは、かつてと少しも変わることはない。他者を信頼し、深く理解しようというルイーズの謙虚さなしには、コミュニケーションは成り立ちえない。この映画は、豊かな映像美を通して、現在世界において最重要なこの真理を、明確に伝えてくれる。

     

    2017年6月21日 於いてTOHOシネマズ日本橋


    2016年アメリカ映画
    監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
    脚色:エリック・ハイセラー
    原作:テッド・チャン『あなたの人生の物語』
    撮影:ブラッドフォード・ヤング
    音楽:ヨハン・ヨハンソン
    出演:エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー

     

    2017年6月24日 j.mosa
     

    フォーラムをめぐる人々―何のための共謀罪法案?

    • 2017.06.20 Tuesday
    • 12:35

    何のための共謀罪法案?

     

     

    13日の日比谷野外音楽堂は、共謀罪法案に反対する人々でいっぱいでした。会場に入れない人たちも大勢いて、小雨にもかかわらず5200人が集まったようです。15日未明、共謀罪法案は強行採決され、残念ながら成立してしまいました。それにしても、いったい何のための法案なのか。それは13日の集会に参加してよく分かったような気がします。

     

    政府は「テロ等準備罪処罰法案」と呼んでいるのですが、テロ対策の内容は一か条も入っていないそうです。またこの法案が、「国連国際組織犯罪防止条約」の批准に必要だといっているものの、現行法のままで十分批准できるとのこと。それではいったいなぜ、こんなにも反対が多い法案を強引に成立させたのか。

     

    ひとことでいうならば、秩序を守る名目で、監視の網の目を隅々にまで張り巡らせるため、ということでしょうか。悪名高いあの「治安維持法」よりも適用範囲が広いそうです。団地の自治会、趣味の同好会、私たちのような法人まで、容易に監視の対象になってしまう。国連の特別報告者、ジョゼフ・カナタチ氏が、プライバシー侵害や恣意的な適用の恐れがある、と警告するはずです。

     

    特定秘密保護法(2013年)、安全保障法制(2015年)、そしてこの共謀罪法案。安倍首相の強権は、憲法改悪まで行きつくのでしょうか。これ以上暴挙を赦してはなりません。

     

    2017年6月15日 森淳

    フォーラムをめぐる人々―水元公園の政治談議

    • 2017.06.08 Thursday
    • 23:57

    水元公園の政治談議

     

     

    「文科省の前の事務次官、前川っての、結構骨のある奴らしいね。天下り問題で辞めさせられたけど、あれは人身御供だよ」
    「そうさ、文科省の天下りなんか、経産省に比べれば可愛いもんだよ。前川にすれば、何で俺が、ってことだったんだろうな」
    「今回の加計問題は、その敵討ちか。それにしても、安倍はひどいね。平気で嘘をつくからなぁ」
    「政治への信頼が薄らぐよね。でも、支持率は高いままだよ。女房なんか、前川はいかがわしい所に出入りして、信用できないとさ。うちは読売だからなぁ」
    「うちは毎日だよ。どうして読売なの?」
    「昔からで、女房のお気に入り。うちのは読売しか読まない。俺はインターネットやるから、色々意見を言うんだけどね。読売が正しいと思ってんだね」

     

    これは今日、水元公園の「書斎」で聞いた、年配の男性同士の会話です。隣のベンチから聞こえてくる会話も、時の政治状況を反映していて興味深い。読売新聞は5月22日、前川喜平前事務次官が出会い系バーに出入りしていたことを報じましたが、これはなりふり構わぬ官邸からのリークのよう。

     

    新聞が政権の広報紙になったら終わりです。何百万部の読者を持つ新聞の責任はとりわけ大きい。今日の首相答弁も不誠実そのものでしたが、今朝の朝日新聞のコラムからゲーリングの言葉を引用することで、権力者の本音を忖度いたしましょう。ゲーリングはいうまでもまく、ナチスの国家元帥です。

     

    「人々は指導者の意のままになる。『我々は攻撃されかけている』といい、平和主義者を『愛国心に欠け、国を危険にさらしている』と非難する。それだけで良い」

     

    水元公園には花菖蒲が咲き出しました。自然はいいですね。心が安らぎます

     

    2017年6月5日 森淳

    おいしい本が読みたい 第32話 大きな歴史と小さな歴史と

    • 2017.06.08 Thursday
    • 23:49

    『褐色の世界史』(ヴィジャイ・プラシャド著、水声社)は「第三世界」から見た世界史だ。わたしたちが中学・高校で押しつけられる世界史とはかなり趣が異なる。歴史は原則として強者の歴史であり、したがって、基本的には「第一世界」の、つまり欧米中心の歴史となる。この歴史に対して大きな疑問符をつけたのがヴィジャイ・プラシャドということになる。

     

    扱う時代の中核部分はほぼ第二次大戦後から70年代末まで、戦後の東西冷戦構造のなかで、「第三世界」がある役割を荷いうると期待された時代である。その役割は著書の冒頭に引用されたフランツ・ファノンのことばが雄弁に語る。「第三世界は今日、一つの巨大な塊としてヨーロッパに対峙している。そのプロジェクトとは、ヨーロッパがこれまで答えを見つけられずにいる問題を解決しようということであるはずだ」。

     

    ところが、ソ連解体により冷戦構造が消失し、「第三世界」もまたグローバル資本の波に呑みこまれて問題を解決する力を削がれているのが現状であろう。この現状の処方箋はむずかしい。けれども、「第三世界」から見た世界史という考え方は、処方箋を作るときに忘れてはならない視点だと思う。

     

    筆者のプラシャドはインド出身の学者だが、アジアと西洋の関係を論じた浩瀚な歴史書『西洋の支配とアジア』(藤原書店)の著者パニッカルもまたインドの政治家・学者である。しかも扱う時代はバスコ・ダ・ガマのインド到達から第二次大戦までの500年近くに及ぶ。パニッカルにもアジアの側から見た西洋世界という視点が当然ある。プラシャドとパニッカルに共通するのは、いっぽうは空間的もういっぽうは時間的な、視界の広さだ。大英帝国支配の苦渋を呑まされてきた民のエネルギーがそうさせるのだろうか。

     

    視界の広さということでいえば、フランスの歴史学者マルク・フェローの『植民地化の歴史』(新評論)は「第三世界」の歴史を700年にわたって展望した大著である。わたしたちが知らない世界史の裏面、あるいは知っていたとしても断片的情報に解体されて本質が見えなくなっている歴史的事実、それらを「植民地化」という一点に絞って紡いだのがこの本だ。筆者はユダヤ系フランス人。ヨーロッパの内なる他者としての第二次大戦を生き抜いた経験をもつ。そういう人間ならではの視線に貫かれている。「核なしに戦争するノウハウを学んだ」(佐藤優)現代世界の見取り図を描くには必須の一書だろう。

     

    学問研究分野の細分化が進んでいる現代には、こうした「大きな歴史」を描く意味は大きい。フランスの歴史学の場合、例えば1931年のパリ植民地博覧会だけに焦点を絞って研究する学徒や研究者は枚挙にいとまがない。細部のみにこだわるスペシャリスト全盛の時代なのだ。だから、上記のフェローのような書物は“大風呂敷”の評言が必ずついてまわる、フランスでも日本でも。「大きな歴史」も「小さな歴史」もなくてはならないはずなのだが…

     

    その「小さな歴史」の一例として、無文字社会であった西アフリカ・マリの語り部アマドゥ・ハンパテ・バーの自叙伝『アフリカのいのち』(新評論)の一節を紹介しておこう。書物を絶対視しがちなわたしたちの足元を確認するのに役立つと思う。

     

    それゆえ、文字をもたなかったからといって、アフリカが過去や歴史や文化をもつことがなかったわけでは決してないのである。私の師匠ティエルノ・ボカールが後に何度も言うように、「文字は事物であり、知識はそれとは別のものである。文字は知識の写真であって、知識そのものではない。知識は人の内側にある光である。知識は先祖たちが知ることのできたものすべての、そして先祖たちが私たちに胚芽として伝えたものすべての遺産なのであって、それはちょうどバオバブの木がその種子のなかに潜在的に含まれているのと同じことなのである」。

    むさしまる
     

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