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- 2020.04.21 Tuesday
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出稼ぎ、と聞くと自動的に反応してしまうのは、やはり育った時代と土地柄のせいだろうか。中卒の集団就職列車の光景がふと思い浮かんでしまう。そういう世代の原風景を見透かすかのように、パンフレットには、幼いと言っていいほどの娘の疲れて無防備に眠る顔と、その子の将来を案じるかのような、姉の憂いに満ちた表情がアップされている。
眠る娘の行きつく先は縫製工場がひしめく都会、つまり日本の安価な服飾製品を作っている場所だ。今、わたし(たち)の身を包んでいる衣服(の一部)を縫い上げてくれたのは彼女かも知れない。そう思うと、かつて日本の支配地域として日本の近代化のために利用された過去がそっくりそのまま持続しているような感覚を覚える。映画のパンフレットはその感覚をさらに後押しする。
彼ら、彼女らが故郷を遠く離れた都会の縫製工場に出稼ぎに行くこと、それを「苦い銭を稼ぎに行く」という。一日フルに働きに働いて、いったいどれだけの稼ぎになるのだろうか? アイロン掛けは、日本円にして時給が270〜300円だから、一日2500円ほどなのだろうか。ある若者は、要領の悪い自分は一日70元(ほぼ1200円)しか稼げない、と嘆く。これが苦い銭の相場らしい。
いうまでもなく、いかに苦かろうと、ともかく銭を稼ぎに故郷を離れなければならない現実がある。監督のワン・ビンには、同じ雲南省の山間部に暮らす貧しい三姉妹を扱った『三姉妹』がある。母親は家を飛び出し、父親は出稼ぎ、そして娘三人がボロボロの布団に寄り添って寝る、そんな暮らしである。子供たちは出稼ぎに行ける歳ではない。いずれ、苦い銭を稼ぎに行くことになるだろう。
ならば、出稼ぎの彼ら、彼女らは辛い労働に懸命に耐え抜いてゆくかというと、皆が皆そういうわけでもなさそうだ。パンフレットに映った少女の弟は、都会の労働に耐えきれず、すごすごと故郷へと帰ってゆく。最も印象に残ったシーンのひとつは、タクシーの窓越しに都会の光景を眺める、その少年のまなざしである。自責の念を抱え、おそらく二度と目にすることのない雑踏の風景を目に焼き付けようとしているかのようだ。きっと少年は、きつい労働を覚悟しながらも、村では味わえない楽しさを夢見てやって来ただろう。これから帰る村では、自分のふがいなさを白眼視する人々のいることを、少年は想像せずにはいられまい。パンフレットの右下の写真が少年その人である。
この少年のもろさと対照的に、夫と夫婦喧嘩をした若妻のしぶとさは見ものだ。何しろその夫婦げんかの凄まじさときたら、映画を観ているこちらの腰が引けるほどの大喧嘩。日本なら警察沙汰になりそうで、どのような破局の形を迎えるだろうか… と思っていたら、映画の最後はこの夫婦が何食わぬ顔してよりを戻している姿で、唖然としてしまった。
これぞ、中国!
むさしまる
オペレッタの楽しさがいっぱい!——東京室内歌劇場『天国と地獄』
芸術は人生にとって、本当に必要なものなのだろうか。ここ半年に近い間、私はオペラはもちろん、映画すらも観にいかなかった。家でも、音楽はほとんど聴かなかった。理由はないことはないけれども、毎日の生活を送るうえで、どうやら芸術の占める位置は、そんなに高くないことを思い知ったのだった。
今日は日本国憲法が施行されて71年目の記念日である。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。この、第25条の第1項こそ、日本国憲法のもっとも重要な精神だと思うのだが、ここでも芸術は、衣食住などと比べて、優先順位が高いとはいえない。国でも自治体でも、財政的に豊かになってはじめて、芸術に税金を費やす。財政が窮乏すれば、真っ先に削られるのも芸術予算である。食べること、着ること、住まうこと、そして健康。これらの価値に比べて、芸術などはまことに影が薄い。
そんな思いでいる日々、久しぶりに舞台芸術に接した。オッフェンバックのオペレッタ『天国と地獄』である。知人が出演するというので買ったチケットだったが、私の鬱屈をキレイに吹き飛ばしてくれた。私にとっては、美しいというのが芸術の原点だが、これはそのうえ、楽しいというぜいたくなおまけがあった。いやいや、芸術はそんなに捨てたものではない。心の豊かさは、生きるエネルギーとなるのだ。嬉しい再認識である。
せんがわ劇場は収容人数120人ばかりの小さな劇場。本公演は、そのメリットを最大限に活かした、インティメイトで、じつに楽しい舞台だった。オペラにせよオペレッタにせよ、成功の鍵はもちろん歌手である。このオペレッタはいわば群集劇で、実力のある歌手が揃う必要がある。ここでは、東京室内歌劇場がその底力をみせてくれた。歌手のレベルの高さに驚く。その上に、コミカルな味を存分に出した演技もたいしたもの。伴奏はヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ピアノだけ。指揮者、新井義輝の力も大きい。
さらに感心したのは、飯塚励生の演出である。コミカルな内容にピッタリのリズミカルな動きといい、世相を取り入れた現代感覚といい、2時間があっという間。現代における「世間」の重要性が強調されて、それは確かに「週刊文春」でつくられるし、スマホで拡散される。
「音楽と言葉」についても考えさせられた。最近のオペラ上演はほとんどが原語上演である。言葉の抑揚や響きなどに細かく神経を傾けて作曲された作品である。原語上演は至極もっともだと思う。しかし、風刺や皮肉をちりばめたオペレッタとなると、原語上演がいいとは必ずしもいえない。本公演の訳詞には不自然さはなく、日本語であるゆえの臨場感に満ちていた。
この室内楽版『天国と地獄』で、ぜひ全国を回ってもらいたい。オペラの広がりが大いに期待できるというものだ。
2018年4月28日 調布市せんがわ劇場
指揮:新井義輝
演出:飯塚励生
オルフェウス:谷川佳幸
ユリディス:加藤千春
世論:三橋千鶴
ジュピター:和田ひでき
ジュノー:田辺いづみ
ダイアナ:原 千裕
ミネルヴァ:横内尚子
ヴィーナス:上田桂子
キューピット:植木稚花
マーキュリー:吉川響一
マルス:酒井 崇
プルート:吉田伸昭
ジョン・スティックス:三村卓也
ピアノ:松本康子
クラリネット:守屋和佳子
ヴァイオリン:澤野慶子
チェロ:三間早苗
2018年5月3日 j.mosa