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- 2020.04.21 Tuesday
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高雅きわまるカウンターテナー
——ヴァレア・サバドゥス&コンチェルト・ケルン
思いもかけず素晴らしいカウンターテナーに遭遇した。久しぶりに古楽のアンサンブルが聴きたくて、コンチェルト・ケルンのチケットを買ったのだったが、共演したのが、ヴァレア・サバドゥス。聞いたこともない名前で、ああ今日はカウンターテナーも出演するのかと、軽い気持ちで演奏会を聴きはじめた。
最初の曲がヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」。いままで一体、何人の歌手の歌声で、この有名なアリアを聴いてきたことだろう。本来はカストラートのアリアだが、いまは主にソプラノが歌う。アリア集が編まれると、まずはこの曲が選ばれるほどの有名曲だ。そして、かつて聴いた誰よりも、サバドゥスは素晴らしかった!
「オンブラ・マイ・フ」は、オペラ『セルセ』の冒頭で歌われるアリアで、主人公のセルセ(クセルクセス1世)がプラタナスの樹に語りかける、伸びやかで抒情的な曲である。サバドゥスの高声は、優美な旋律線に乗って、まるで天空に溶けゆくよう。ビロードのような円やかな声は、このアリアにこそふさわしい。思い浮かべるどのソプラノの声をも軽やかに超えゆくサバドゥスは、衝撃そのもの。
さらに驚かされたのは、2曲目のジャコメッリ作曲のアリア「愛、義務、尊敬」(『シリアのアドリアーノ』より)。これは「オンブラ・マイ・フ」とは打って変わって、劇的で、超絶技巧を要するアリアである。優美な声はそのままで、高声から低声へ、弱音から強音へ、アジリタ(装飾歌唱)もたっぷり入って、その巧みさには舌を巻いた。これほど自在に声を操ることができれば、歌うことはさぞや楽しかろうと、たまにカラオケで歌う私は、羨望の思いしきりであった。
休憩時間、私は慌ててプログラムを買いに行った。同じ思いの人も多かったのだろう、あやうくプログラムは売り切れそうだった。当日の演奏会のテーマは「Caro Gemello 親しい二人」。18世紀に活躍したカストラートのファリネッリと台本作家メタスタージオに捧げられている。ヘンデルのアリア以外はすべてファリネッリのために作曲された曲だそうだ。超絶技巧が駆使されているはずである。
とはいえ、カルダーラの「私はその善き羊飼い」(『アベルの死』より)は、抒情性豊かな、心に染み入る名曲である。サバドゥスの、しっとりした、情感豊かな歌声に、思わず涙する。ポルポラのふたつのアリア「至高のジョーヴェ」「聞け、運命よ」(ともに『ポリフェーモ』より)で締めくくられたが、優美と華麗と対照的なふたつの曲は、サバドゥスの実力を示すにはまたとない曲。難曲をいとも軽々と歌いきる技巧の確かさを、いやというほど認識させられた。3曲のアンコールのあと、大勢の観客がスタンディングオベーションを捧げた。日本では珍しいことだ。
幸せな気分で帰宅途中、私は、はるか昔、1992年に、偶然チェチーリア・バルトリを聴いた日のことを思い出していた。彼女は当時まだ26歳! 急病のフレデリカ・フォン・シュターデの代役で出演したのだが、日本では無名のメゾソプラノの、圧倒的な歌唱力に驚倒したものだ。その後のバルトリの活躍を思うと、サバドゥスのこれからも楽しみでならない。
ヴァレア・サバドゥスは、1986年ルーマニア生まれ。ドイツ育ち。コンチェルト・ケルンのコンサートミストレス平崎真弓とは学生寮が一緒だったらしい。息の合った共演にうなずかされる。
2019年2月11日 武蔵野市民文化会館小ホール
曲目
ダッラーバコ:合奏協奏曲 ニ長調 Op.5-6
ヘンデル:アリア「オンブラ・マイ・フ」(歌劇『セルセ』HWV40/セルセ)
ジャコメッリ:アリア「愛、義務、尊敬」(歌劇『シリアのアドリアーノ』/ファルナスペ)
ヴィヴァルディ:協奏曲 イ長調 RV158
ヘンデル:アリア「愛する花嫁よ」、「風よ、旋風よ」(歌劇『リナルド』HWV7/リナルド)
ヘンデル:シンフォニア「シバの女王の到着」(オラトリオ『ソロモン』 HWV67)
カルダーラ:シンフォニア へ短調(オラトリオ『アベルの死』)
カルダーラ:アリア「私はその善き羊飼い」(オラトリオ『アベルの死』/アベル))
ポルポラ:アリア「哀れみは消え去り」(歌劇『アンジェリカ』/ティルシ)
ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 Op.3-11 『調和の霊感』より
ポルポラ:アリア「至高のジョーヴェ(ジュピター)」、「おお、これが運命か」(歌劇『ポリフェーモ』/アーチ)
カウンターテナー:ヴァレア・サバドゥス
管弦楽:コンチェルト・ケルン
2019年2月13日 j.mosa
ジャンルを超えるロックミュージック——『ボヘミアン・ラプソディ』人気の源泉
昨年の映画の興行成績の第1位は『ボヘミアン・ラプソディ』だそうだ。クィーンの名前すら知らなかった私でさえ観た映画だから、第1位はうなずける。なによりも音楽が良かった。重唱の美しさに驚く。それにしても、ロックなどほとんど聴かない私が、なぜこの映画を観ることになったのか。
NHKラジオ「すっぴん」のアンカーである藤井彩子アナが、「最後の場面で泣きました」と報告したのが、もう3ヶ月も前。ちょっと気にはなっていた。それから3度も観たとまた先日ラジオで発言。そのときは夫である古今亭菊之丞と一緒だったらしい。そして高橋源一郎も、観ましたよと言う。彼は賢明にも、映画の感想は述べなかったのだが。
1月27日、新国立劇場で『タンホイザー』を観たあとのオペラ仲間との会食。私も観たという人が結構いて、ちょっとビックリ。しかも、映画の主人公フレディ・マーキュリーは、スペインの名歌手モンセラート・カバリエと共演しているという。うーん、これは観なければ、ということになったのだった。ちなみに当夜の『タンホイザー』は、合唱以外取り立てていうことはなし。罪深い男が聖なる女性に救われるというテーマも、『ファウスト』を経験している私たちには、すでに陳腐でしかない。
『ボヘミアン・ラプソディ』を、映画として優れているか、と問われれば、いささか疑問がないとはいえない。主人公のとらえ方に偏りがあり、フレディ・マーキュリーという人間がイマイチよく分からない。ゲイの側面を描きすぎて、奥行きを失ったのではないか。女の恋人との関係も曖昧なままである。不特定多数の恋人が彼の孤独を癒したはずはなく、彼の「愛」をもう少し深く追究すれば良かったのではないかと思う。
とはいえ、音楽の素晴らしさは、それらの欠点を補って余りある。物語の進展と音楽の間に齟齬が感じられない。ときどきのフレディの心情が、ロックの音楽に見事に結実している。ビートルズには少しも感情移入できなかった私だが、クィーンの音楽には心を動かされた。
フレディがピアノを弾きながら歌いはじめる『ボヘミアン・ラプソディ』は映画のハイライトだが、美しいハーモニーといい、抒情的なエレキギターといい、思いがけない展開をみせる曲の構成といい、すっかり魅せられてしまった。暖かな繭から出ざるをえない青年の、世界との闘い、傷つき、逃走し、そして……。この曲には、まさしく彼らの魂の叫びが宿っている。6分間の短い曲が、ときには3時間のオペラに勝ることがある。
音楽に垣根はないなぁ、と実感したのは、とにかく大きな収穫であった。
2019年1月29日 於いてTOHOシネマズ錦糸町
2018年イギリス・アメリカ映画
監督:ブライアン・シンガー
脚本:アンソニー・マクカーテン
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
音楽:ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー
出演:ラミ・マレック、ルーシー・ボイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョゼフ・マゼロ、エイダン・ギレン、トム・ホランダー、アレン・リーチ、マイク・マイヤーズ
2019年2月6日 j.mosa